すみわかる

アラフィフ主婦の興味のあることを吐露してます。たまに為になることも書く所存。読んだ人がほくそ笑んでくれることを願いつつブログを書いてます!

子供の頃やたらと怪我していたという話

私は子供の頃しょっちゅう怪我をしていた。大袈裟でなく、身体のどこかしらにいつも傷があった。無類のボール遊びが好きだったことと、やや内旋気味の膝がうまく使えずによく転んでいた。しかも完治する前の患部をさらに転んで血まみれにするという荒業をよくやっていたので、育ち盛りの身体は癒える暇がなかった。

 

私の身体の痛みは完全なる自業自得だからいいのだけれど、そのことで完全なるとばっちりを受けたのは母親だった。どういうことなのか分からないけれど、子供が怪我をすると、母親は父親にめっさ怒られるというシステムがあった、1970〜1980年代。うちの家庭だけの稀な悪習ではなかったと思う。現代はどうか知らないけれど、「お前がちゃんとしないから駄目なんだろう!」みたいな言いがかりで母親を責めるアレである。

 

で、私が怪我をすると母親が父親に怒られてしまうという情景を毎度見せられていると、何とかして怪我をしないようにして遊ばなくてはいけないという頭は働く。でもその願いも虚しく私の負う怪我の度合いは次第に大きくなっていった。コワイー

 

ある日、幼稚園のお遊技場に誰よりも早く到着した私は(休憩時間)、これから何をして遊んでやろうか!と鼻息荒く遊具を眺めていた。が、次の瞬間、衝撃と共に目の上から何やら生温かい物が流れてくるではないか。どんどん流れてきては視界を塞ぐその生温かい物。私は右手で右目を覆うようにして、その生温かい物を阻止しようとしていた。おぼろげに見える斜め前には、1人の園児が立っていた。異変に気付いた先生がお遊技場に飛び込んできて、フラフラしながらやっと立っている私を見て「大変なことになってるやん!!」という心の声が漏れ聞こえるような顔をした。

 

その後、どこをどうやって行ったのか全く覚えてないが、気がついたら病院の先生の目の前の椅子に座っていた。止血された私の右眉にはパックリ開いた赤い傷口があった。「ちょっと痛いけど我慢してね。」的な声が周囲からかけられていたと思う。私は言われるままに我慢していたけど、頭の中はかーさんに申し訳ない。またかーさんがとーさんに怒られてしまう・・・。という思いで渦巻いていた。そして周りの励ましとは裏腹に、そんなことを考え続けていたら、無麻酔縫合(たぶん10針くらい)が終わっていた。

 

「えらいね〜。よく泣かないで我慢したね。」そう言って誰も彼もが私を褒めた。だけど私の関心はそんなことではなかった。帰宅した時に繰り広げられる修羅場。罪も無いのに一方的に責められ続ける母親。なんか知らんけどやたら男勝りの活発なガキのせいで、虚構の罪悪感を突かれまくる母親。また申し訳ないことをしてしまった・・・。そんないたたまれない気持ちで、幼稚園に迎えに来ることになった母親をジッと待った。

 

「お母さんが迎えに来たよ。」先生のその声で、私は 玄関口に出た。そこには先生に深々とお辞儀しながら、目の上に大きなガーゼを付けた痛々しい私を目に留めるかーさんがいた。

 

そんな母の姿を見た瞬間、私はワンワン声を上げて泣き出してしまった。それを見ていた先生が病院では一切泣かなかったことを母に教えた。すると母は凄く驚いた顔をして私に「えらかったね。」と言った。